広島地方裁判所 昭和62年(行ウ)9号 判決 1994年3月22日
原告
西尾雅行
同
沖濱忍
同
森川真澄
同
吉田節子
同
八和田昭彦
同
土井俊春
同
佐藤八重子
同
丹光節子
同
黒飛シゲ子
同
矢島一夫
同
森金敬彦
同
末永卓子
右原告ら訴訟代理人弁護士
立木豊地
同
川副正敏
同
外山佳昌
同
山田延廣
被告
広島県教育委員会
右代表者委員長
平田嘉三
右訴訟代理人弁護士
山本敬是
同
樋口文男
右指定代理人
小池和馬
外三名
主文
一 被告が昭和五四年一二月二八日付けで原告黒飛シゲ子、同矢島一夫、同森金敬彦、同末永卓子に対してなした各戒告処分はこれを取り消す。
二 その余の原告らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余は原告西尾雅行、同沖濱忍、同森川真澄、同吉田節子、同八和田昭彦、同土井俊春、同佐藤八重子、同丹光節子の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五四年一二月二八日付けで原告らに対してなした各戒告処分はこれを取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
(筒湯小学校関係)
以下において、筒湯小学校関係事件については、原告西尾雅行、同沖濱忍、同森川真澄、同吉田節子、同八和田昭彦、同土井俊春、同佐藤八重子、同丹光節子、同黒飛シゲ子を総称して、単に「原告ら」という。
一 請求原因
1 当事者の地位等
(一) 原告らは、昭和五四年一〇月当時(以下に記載する月日について、年代を特に記さないときは、昭和五四年におけるものである。)、広島県尾道市立筒湯小学校にそれぞれ教諭として勤務していた。
(二) 被告は、原告らの任命権者である。
2 処分の存在
被告は、一二月二八日、原告らに対して、懲戒処分としての戒告処分(以下「本件各処分」という。)を行った。
3 原告らは、昭和五五年二月二〇日、広島県人事委員会に対し、それぞれ本件各処分の取消を求める審査請求をなしたが、同委員会は、昭和六二年二月六日、本件各処分を承認するとの裁決をなした。
4 原告らは、本件各処分の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実は全て認める。
三 抗弁
1 職務命令に至る経緯
(一) 中井圭仁は、一〇月一日付けで筒湯小学校校長に任命され、同月二日同校に着任した(以下、中井圭仁を「中井校長」という。)。
(二) 中井校長と筒湯小学校教頭宗川昌三(以下、「宗川教頭」という。)は、中井校長着任以来、学校行事としての校長就任式(以下、「就任式」という。)を早期に実施すべく、同校の教職員らに提案し、かつ、その協力を要請したが、原告らを含む教職員は、中井校長と人事や同和教育の姿勢等教育上の諸問題に関する話合いを行い、これらにつき一定の合意に達したのちに就任式を行う旨主張したため、就任式はなかなか実施できなかった。
(三) 中井校長と宗川教頭は、できればすぐにでも、遅くとも同月一一日(音楽朝会の際)には就任式を行うことで合意した。
(四) 一〇月八日の体育朝会の際、宗川教頭は就任式を実施しようとして教職員を招集する旨の校内放送をしたが、教職員が集まらなかったので、就任式は実施できなかった。
2 職務命令の存在
宗川教頭は、一〇月九日の職員朝会において、原告らを含む教職員に対し(但し、原告黒飛シゲ子は休暇をとっていたので、同日の職員朝会には出席していない。)、同日に就任式を行う旨提案したが、原告らが、「やってみなさい。どんな混乱が生じるか。」、「我々の出席しない就任式が子供のためなのか。」等と言って反対した。そこで、中井校長は、「正式な辞令を受けて着任しているのであるから、一日も早く子供たちに対面したい。一体、就任式の挨拶ができない理由は何か。」と発言したが、原告らは、「子供、親、教師の納得のいく上で内容のある就任式をしたい。」と言って、あくまで話し合いで問題解決がなされない限り就任式挙行には協力できない姿勢を崩さなかった。
そこで、宗川教頭は、やむを得ず、中井校長との前記合意に基づいて、「一一日にはどういうことがあっても就任式を挙行する。」と告知し、もって、一〇月一一日には就任式を行う旨の職務命令を発した。
一〇月一一日午前八時三〇分ころ、定例の音楽朝会が開始された。この音楽朝会には、原告らも全員出席していた。
朝会が始まる前、宗川教頭は、原告西尾雅行(以下、「原告西尾」という。)に対し、「今朝就任式をやらせてもらう。」と告げたところ、同原告は、「就任式をやるんだったら子供を引きあげる。」と言い、これに対し、宗川教頭は、「いけない。おってください。今日は実施しなければなりません。」と述べるやりとりがあった。
その後、児童や教職員が体育館に整列し、児童会代表の児童がステージに上がって、「ただ今から朝会を始めます。」と言ったところで、宗川教頭は、その児童にステージから下りるよう指示すると共に、午前八時三五分ころ、全児童及び教職員の前で「ただ今から新しく来られた中井校長先生を紹介します。」と述べて、中井校長の就任式を執り行うことを告げた。
宗川教頭の右発言は職務命令であるから、同月九日不在であった原告黒飛シゲ子も、この時点で改めて発せられた、同日就任式を執り行う旨の職務命令を覚知した。
3 職務命令違反の行為
原告西尾は、宗川教頭の右発言を聞くや、他の原告らや自己の担任の児童に向かって「おい、出るぞ。」と呼びかけ、これを聞いた表田千代美教諭が、ピアノ担当の児童に退場行進の曲を弾かせたため、児童らは六年生から順次退場を始め、児童と共に原告らも退場し始めた。
宗川教頭は、なおも中井校長に挨拶をするよう促したが、高学年の児童及び担任教師がすでに退場を終え、その余の児童やその担任らもさらに退場しようとしていたので、中井校長は、宗川教頭に対し「中止しよう。」と言って、それ以上の就任式の続行を断念した。そして、原告らは児童とともに全員退場してしまった。
4 以上のとおり、原告らは、一〇月九日の職員朝会において、一〇月一一日に就任式を行う旨の、同校長の委嘱を受けた宗川教頭による職務命令(この点は原告黒飛シゲ子を除く。)、及び、同一一日の音楽朝会時における、就任式を行う旨の宣言(新たな職務命令)を受けながら、これに違反して、担任の児童を右会場から退場させるとともに、自らも右児童とともに退場し、もって就任式を中止のやむなきに至らしめたものである。
このような原告らの行為は、上司の職務上の命令に従わず、職務専念義務に違反し、かつ、児童、その保護者及び地域住民に不安と不信を与えて信用を失墜させたものであって、地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条、三三条、三五条に違反する違法な行為である。
5 本件処分の適法、妥当性
本件各処分は、原告らの前記違法行為に対して、地公法二九条一項一号ないし三号を適用して行ったものであり、適法かつ妥当なものである。
四 抗弁に対する認否及び原告らの主張
(認否)
1 抗弁1について
(一) 同(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実のうち、中井校長と宗川教頭が就任式を早期に実施すべく提案したこと及び原告らが中井校長と人事や同和教育の姿勢等教育上の諸問題に関する話合いを行い、これらにつき一定の合意に達したのちに就任式を行う旨主張したことは認める。
原告らは、中井校長に対して、以下のとおりの話合いを求めたのであり、就任式を遅延させる目的はなかった。
すなわち、筒湯小学校の花田校長は病気休職中であったので、原告らは、尾道市教育委員会(以下「市教委」という。)に対し、花田校長の後任には筒湯小学校の教職員に人望の厚い宗川教頭を昇格させるよう希望を出していたにもかかわらず、同教育委員会は、宗川教頭が他校の教頭のときに教諭の地位にあり、かつ従前から広島県教職員組合に敵対的な態度をとっていた中井圭仁を校長に任命した。そこで、原告ら(いずれも広島県教職員組合の組合員である。)は、その経緯に鑑み、中井校長に対しては、次期校長に宗川教頭を推薦するよう市教委に進言することを求め、かつ筒湯小学校の従来の教育実践理論を理解してもらうために中井校長と十分な話合いを持ち、共通認識を得たうえで就任式をしようということになった。そして、これを中井校長及び宗川教頭に伝えたところ、中井校長らもそれについては了解をしたのである(なお、筒湯小学校では従来から校長の異動の際には、このような話合いをしていた。)。
そして、具体的には、一〇月三日の職員会議で、就任式は、前記の話合いが終わった時点で速やかに実施することで原告らの意見が一致した(この日は校長は出張中で不在であった)。その後、同月五日、八日の両日、中井校長との間で話合いがなされたが、その際、同月一一日の放課後の職員会議で改めて話合いを続けることになり、この点については中井校長や宗川教頭も了解をしていた。
(三) 同(三)は否認する。右のとおり、一一日の放課後に話合いを続行することになっていたから、就任式は当然その後に行うことになっていた。
2 同2の事実のうち、一〇月九日に黒飛シゲ子は休暇をとっていたので、同日の職員朝会には出席していないこと、同月一一日午前八時三〇分ころ定例の音楽朝会が開始されたこと、宗川教頭が、児童や教諭らが体育館に整列し、児童会代表の児童がステージに上がって、「ただ今から朝会を始めます。」と言ったところで、その児童にステージから下りるよう指示すると共に、午前八時三五分ころ、全児童の前で「ただ今から新しく来られた中井校長先生を紹介します。」と発言したことは認めるが、その余の事実は否認する。
もともと、中井校長及び宗川教頭は、一〇月九日には、同月一一日に話合いを続行することに合意していたのであるから、一一日に就任式を行うとの職務命令を発したことなどなかったのである。
3 同3の事実のうち、表田教諭がピアノ担当の児童に退場行進の曲を弾かせたため、児童たちは、六年生から順次退場を始め、原告らもこれらの児童と共に退場し始めたこと、中井校長が宗川教頭に対し「中止しよう。」と言って、その後は就任式がされなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同4については争う。
(主張)
1 仮に、職務命令が出されたとしても、本件就任式には以下のような違法があるから、職務命令は無効であり、したがって、職務命令違反を理由として懲戒処分に付することはできない。
(一) 外形上職務命令があったとしても、就任式や落成式のような教育の内的事項としての全学的教育活動に関しては、現行法上、教師の教育権が保障されているから、上司はそもそも職務命令によって所属教職員に対して、学校行事への参加を強制することはできない。
(二) 一般に、学校行事は内的事項であるところ、内的事項については教師の教育権保障の見地から職員会議が議決機関としての性質を持つものと解すべきである。とするなら、校長の一存で学校行事についての決定をすることはできない。
殊に、筒湯小学校では、従来、全ての教育計画や学校行事の企画・実施・変更等の学校運営全般を、担当者―担当委員会―職員会議のルートで協議決定していた。
しかるに、本件就任式の行事決定は、職員会議における十分な審議を経ないまま、中井校長によって一方的になされたのである。
したがって、右就任式の決定は違法であり、このようにして決められた就任式について職務命令を発することはできないのであるから、本件職務命令は違法である。
(三) 学校長は、学校行事としての儀式的行事においては、指導要領に従って行事を計画し、その目的実現のための内容を策定し、全教職員の協力と児童・生徒の参加ということを十分に生かして決定しなければならない。
しかるに、中井校長による就任式の行事決定においてはかかる配慮はなされていないから、右就任式は学校行事ということはできない。
(四) 学校長は、学校行事を変更するときは、少なくとも指導要領の行事に関する目標に即してこれをなすべきである。
本件当日、筒湯小学校では、一週間に一度の音楽朝会なる学校行事が実施される予定であった。しかるに、中井校長は、本件において何ら右目標に配慮した措置をとらず、その一存で抜き打ち的に右音楽朝会を就任式に変更する旨の職務命令を発した。
これは、学習指導要領に反するとともに、既に決定された行事の効力に抵触し、違法である。
2 職務命令は、取消ないし撤回された。
(一) 原告西尾は、一〇月一〇日、宗川教頭と就任式について話し合ったが、その際、宗川教頭は同月一一日には就任式を行わない旨表明した。
(二) 中井校長は、一〇月一一日の就任式において、高学年の児童らが退場したのを見て、宗川教頭に「中止しましょう。」と言い、就任式を中止する旨表明した。
したがって、少なくとも右中止の意思表示後の退場者は、職務命令に反したものではない。
3 原告らは、以下の事情のため、職務命令が発せられたことに気付かなかった。
(一) 宗川教頭の一〇月九日の「一一日には必ず就任式を実施する。」との発言以前にも、宗川教頭は同様の発言を繰り返しておきながら、日程等につき具体的に言及することもなく、それを実行に移すこともなかった。そのような言動の繰り返しの末に右発言がなされたものであるから、原告らとしては、それが本当に一〇月一一日に就任式を挙行する旨の意思表明だとは認識し得なかった。
(二) 原告らは、「抗弁に対する認否 1(二)」に記載のとおり、中井校長らは、原告らの意向を受け入れ、教育問題について話合いをしたうえで就任式の話をすることに合意したと受けとめていた。
(三) 原告らの中には、宗川教頭の一〇月一一日の校長就任式における中井校長の紹介の発言に気付かない者もいた。
4 裁量権の濫用
本件各処分は、次のとおり、社会観念上著しく妥当を欠くものであって、裁量権を濫用してなされたものである。
(一) 従来、筒湯小学校では、新しく着任した校長の就任式の前には、新校長と教職員との話合いがなされてきたのであり、しかも本件異動は年度途中のもので、また、宗川教頭が校長に昇格することを期待していた原告らにとって意外な人事だったのであるから、その意外な人事によって生じた両者間のわだかまりを消して、中井校長との相互理解を図るためには、まず話合いが必要であった。したがって、まず話合いを求めた原告らの態度は正当であり、それを無視した本件職務命令は教育的配慮を欠くものであった。
(二) 原告らは、就任式の実施自体を拒否していたものではなく、中井校長及び宗川教頭と一〇月一一日に行うことを合意していた職員会議において話合いをした後、早期に就任式を実施することを了解していたものである。ところが、中井校長及び宗川教頭は、前記のような不意打ち的なやり方で、形式的な就任式を強行しようとしたものであり、その行動は背信的というべきである。
(三) 中井校長及び宗川教頭は、就任式を全教職員の協力も得ないで独断で実施しようとし、既に決まっていた音楽朝会を勝手に就任式に変更したものである。
(四) 一〇月一一日の音楽朝会の途中で、ピアノ担当の児童が退場行進のメロディーを弾いたため、児童らは六年生から順次退場し、体育館に残っていた児童らも退場のため足踏みを始めた。このような予想外の事態の推移に直面した原告らは、各自が担任するクラスの児童だけをその場に留まらせていては混乱が生じると判断して、より大きな混乱を回避するため、担任する児童らに付き添って退場したのである。したがって、原告らが体育館から退場したことは、やむを得ない行動であった。
(五) 本件事態を惹起した主たる責任が、教職員の意向を無視し、本来予定されていた音楽朝会という重要な教育活動を中断して、不意打ち的に、形ばかりの就任式を挙行しようとした中井校長及び宗川教頭にあるにもかかわらず、被告は、右両名には文書訓告をするに止まり、原告らに対しては本件各処分に及んだものであるから、公平を欠いている。
(六) 本件各処分は、憲法、教育基本法に基づく民主的な学校運営を圧殺し、校長絶対の学校運営を実現するための見せしめとしてなされたものである。
5 原告らには、本件各処分に際して弁解の機会が与えられていないから、手続的にも違法である。
五 原告らの主張に対する被告の反論
1 就任式について職務命令を発し得ないとの主張について
小中学校教育課程中の特別活動に含まれる学校行事は、全校若しくは学年又はそれに準ずる集団による活動として行われるもので、儀式的行事、学芸的行事、体育的行事等からなる。
儀式的行事は、学校生活に有意義な変化や折り目をつけ、清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動とされているところ、小学校校長の就任式は、この儀式的行事にあたる。
そして、就任式などの学校行事は、当然校務に含まれるから、教職員はその挙行に協同しなければならず、また、上司は、その挙行に必要ならば、教職員に対して職務命令を発することができる。
本件にあっては、前記のとおり、中井校長及び宗川教頭は、校長着任以降、原告らに対して就任式の早期の実施を提案し、原告らの協力を要請したが、原告らは、就任式を行う前に人事や同和教育への姿勢等教育上の諸問題に関する話合いを行うことを求め、就任式を実施できないまま一〇月八日に至ったのであるから、中井校長らとしては職務命令を発してこれを行うことを余儀なくされたものである。
2 中井校長は、学校行事を決定する権限を有するところ、原告らが不当に就任式の実施に反対し、実施の目処が立たないまま時期的限界に達したので、やむなく音楽朝会の機会に就任式を行うべく行事を変更したのである。
3 「中止しよう。」という中井校長の発言は、同人が宗川教頭に対して自己の考えを述べたものに過ぎず、原告らに対して就任式の中止を宣言したものではない。しかも、右発言は茫然自失して述べたもので、職務命令の取消などという法律行為の要件を備えたものではない。
4 原告西尾がまず担任していた五年一組の児童らに退場を呼びかけ、その後ピアノが鳴り始めたのである。また、その余の原告らは、就任式をボイコットするべく退場したのである。
(船越中学校関係)
以下において、船越中学校関係事件については、原告矢島一夫、同森金敬彦、同末永卓子の三名を総称して、単に「原告ら」という。
一 請求原因
1 当事者の地位等
(一) 原告らは、昭和五四年一一月一日当時(以下に記載する月日について、年代を特に記さないときは、昭和五四年におけるものである。)、広島市立船越中学校に、それぞれ教諭として勤務していた。
(二) 被告は、原告らの任命権者である。
2 処分の存在
被告は、一二月二八日、原告らに対して、懲戒処分としての戒告処分(以下「本件各処分」という。)を行った。
3 原告らは、昭和五五年二月二〇日、広島県人事委員会に対し、それぞれ本件各処分の取消を求める審査請求をしたが、同委員会は、昭和六二年二月六日、本件各処分を承認するとの裁決をなした。
4 原告らは、本件各処分の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実は全て認める。
三 抗弁
1 職務命令に至る経緯
(一) 昭和五四年当時、佐々木勉吉は船越中学校の校長として、小川忠夫は同校の教頭として勤務しており(以下、佐々木勉吉を「佐々木校長」、小川忠夫を「小川教頭」という。)、原告らは船越中学校の教諭であった。
(二) 船越中学校では、校舎、屋内体育館等の新築工事がなされ、このうち三期工事が完成したので、その落成式を挙行することとなった(以下、これを「落成式」という。)。
ところで、右落成式を行う日取りについては、そのころ行事が重なること等もあって教職員の間でも意見がまとまらなかったが、佐々木校長が工事関係者に四期工事の予定を問い合わせたところ、一一月一日だけは工事を休んで落成式の挙行に協力できるが、それ以上の延期は工事日程上無理であるとの回答を受けたことや、PTA委員会の希望もあったので、佐々木校長は、一一月一日に行うこととし、一〇月二三日の職員会議において、一一月一日に落成式を挙行するので、教職員はそれに参加協力するよう、生徒も全員参加させるようにと原告らを含む教職員に告げた。
2 職務命令の存在
教職員の中には、佐々木校長らの落成式参加案内状の配付等の指示に従わない者がいたので、同校長は、一〇月三一日の職員朝会において、原告らを含む教職員全員に対して、改めて落成式に全員参加すべきことを指示し、もって職務命令(以下、これを「第一次職務命令」という。)を発した。
小川教頭は、式当日である一一月一日の職員朝会において、原告らを含む教職員らに対して、落成式を予定どおり挙行する旨念を押したうえ、式への参列については校内放送に従うよう指示し、同日午前一一時一四分ころには、「落成式を始めるので廊下に整列して、一年生から体育館の方へ入って下さい。そして先生方は生徒を引率して式場に入るように。」との校内放送をなした。
しかし、原告らはそれに従わず教室にいたので、さらに、同教頭は、各教室を回って原告らに対し、すぐ生徒を引率して式場に入るよう大声で指示した。他方、佐々木校長も、校内放送により、また、各教室を回って、原告らに対し、式に参加するよう指示した(以下、これらを総称して「第二次職務命令」という。)。
3 職務命令違反の行為
原告らは、第一次及び第二次の各職務命令が発せられたにもかかわらず、生徒を落成式に参加させず、また、自らもこれに参加せず、文化祭の準備を続行した。結局、落成式には、約五〇名の来賓が出席していたにもかかわらず、全教職員二四名中六名、全校生徒五三九名中八六名しか出席しなかった。
4 以上のとおり、原告らは、一一月一日の落成式に全員参加すべき旨の一〇月三一日になされた第一次職務命令及び一一月一日になされた第二次職務命令に違反して、生徒を落成式に参加させず、自らもこれに参加しなかったもので、このような原告らの行為は、上司の職務上の命令に従わず、職務専念義務に違反し、かつ、生徒、その保護者及び地域住民に不安と不信を与えて信用を失墜させたものであるから、地公法三二条、三三条、三五条に違反する違法な行為である。
5 本件処分の適法、妥当性
本件各処分は、原告らの前記違法行為に対して、地公法二九条一項一号ないし三号を適用して行ったものであり、適法かつ妥当なものである。
四 抗弁に対する認否及び原告らの主張
(認否)
1 抗弁1(一)の事実は認める。
同(二)の事実のうち、船越中学校PTA委員会が、九月二八日に、落成式を一一月一日に挙行するとの提案をしたこと、佐々木校長は工事関係者からの回答によれば落成式を挙行できるのは一一月一日だけであると述べたこと、職員会議では文化祭の準備との関係で同日に落成式を挙行することに異論があったこと、佐々木校長が一〇月一八日の職員会議で、落成式を一一月一日に挙行するとの提案をなしたこと、それに対しては異論があったことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 同2の事実中、佐々木校長が、同日の職員会議において、一一月一日に落成式を挙行する旨発言したこと、教職員の中には同校長の指示に従わない者がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3の事実のうち、校内放送で体育館に集合するようにとの呼びかけがあったこと、小川教頭が各教室を回って来たこと、原告らが、生徒を落成式に参加させず、また、自らもこれに参加しなかったこと、全教職員二四名中六名、全校生徒五三九名中八六名しか落成式に出席しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同4は争う。
(主張)
1 職務命令の明確性の欠如
職務命令は、行政権力の発動であって、それに違反した場合には行政処分がなされるおそれがあるものであるから、被命令者においてその発動が明確に判断しうる方法と内容をもって発せられることを要するが、本件職務命令には以下のとおりその要件が欠けており、無効である。
(一) 佐々木校長は、一〇月二三日、原告らに対し、教職員は落成式に出席したくなければ出席しなくてよいという趣旨の発言をし、落成式を学校行事外で、出席希望者だけで行う旨言明した。
(二) 佐々木校長は、教員の「それ(落成式への参加)は業務命令か。」との質問に対して、業務命令ではない旨表明した。
(三) 一一月一日、校内放送で落成式への出席の呼びかけがあり、また、小川教頭が各教室を回って落成式への参加を勧誘したが、いずれも右式への出席を強制するものではなかった。
2 本件落成式には以下のような問題点があるから、右落成式に関してなされた職務命令は無効であり、したがって、職務命令違反を理由とする本件各処分は違法である。
(一) 「(筒湯小学校関係)三(主張)2(一)」と同じ。
(二) 本件落成式は、その実施主体はPTAであって、学校行事外の行事であったから、出席希望者だけで行われる予定のものであった。かかる行事に関してなされた職務命令は無効である。
(三) 「(筒湯小学校関係)三(主張)2(二)」のとおり、学校行事の決定に際しては、職員会議において審議を経るべきところ、当時船越中学校では、学校行事については担当部会が計画を立案して、職員会議で民主的に討論して決定するという慣行があった。本件落成式についても、職員会議において、文化祭の準備の関係上、右落成式は一一月二日以降にすべきであると決定された。しかるに、佐々木校長は、右決定を無視し、一方的に日程を決めて、それを強行したものである。
(四) 「(筒湯小学校関係)三(主張)2(三)」のとおり、儀式的行事においては、その目的実現のために配慮がなされなければならないところ、佐々木校長は、専ら地域有力者の意向に沿いたいという自らの功利心と、校長が決めたことには従うべしという権威主義に基づき、一方的に決定した日程に教職員を従わせようとしたものである。
そこには、校舎建設の労苦への感謝、校舎への愛着心を育てよう、などという生徒のための教育活動を行おうという目的が存しない。
3 原告らは、以下の事情のため、職務命令が発せられたことに気付かなかった。
(一) 原告らは、前記1(一)ないし(三)の事情から、落成式は学校外行事としてなされるものと認識した。
(二) 小川教頭は、一一月一日の朝礼において、文化祭の準備は一校時に行うよう予定変更するように要請したが、教職員らは全員予定どおり一校時に授業を行った。しかし、校長らからは格別指示や命令がなかったので、原告らは、やはり今までの要請は単なる「お願い」であり、落成式への出席は各教職員の判断に委ねられているものと考えた。
(三) 落成式当日の、式への出席を呼び掛ける校内放送も型通りのものであり、小川教頭の出席要請も強く出席を要求するものでなかったので、原告らは、これらは任意の出席を勧誘するものにすぎないと考えた。
4 裁量権の濫用
本件各処分は、次のとおり、社会観念上著しく妥当を欠くものであって、裁量権を濫用してなされたものである。
(一) 原告らの行動の正当性
(1) 原告らは、いずれも文化祭の準備のため、落成式に出席する時間的余裕はなかったし、またこのようなときに右式に生徒を出席させると式の有する教育目的を達しえないばかりか、文化祭のもつ教育目的も散漫化させるおそれがあると考えた。
(2) 本件落成式には佐々木校長の功名心や地域有力者への御機嫌取りという不当目的があり、また、他の教職員の反対を押し切って行うという手続違背もあったから、原告らとしては、学校運営への支障を防ぐため、かような式を学校行事として行うことを認めることはできなかった。
(3) 原告矢島一夫は、当日広島市内に出張していて、もともと落成式に参加し得なかった。
(二) 本件各処分の不公平性
本件の経緯を考えると、その主因は佐々木校長の独善にあり、小川教頭も、その独善を放置したのに、この両者に対しては何ら処分がなされていない。それに比べ、生徒のために学校の民主的運営を守ろうとした原告らのみが一方的に処分を受けている。
原告らに対する本件各処分は明らかに不均衡である。
(三) 本件各処分の目的の不当性
落成式が終わった直後、それに出席していた自由民主党所属の県会議員や市議会議員が、学校関係出席者の少なさに立腹の余り、被告に対して原告らの処分を迫ったり、広島市議会で取り上げる等して被告に政治的圧力を加えたので、被告は、本件各処分に及んだ。
原告らに対する本件各処分は、右議員らの遺恨を晴らすため、見せしめ的になされたものである。
五 原告らの主張に対する被告の反論
1 落成式について職務命令を発し得ないとの主張について
学校行事や儀式的行事については、「(筒湯小学校関係)五 原告らの主張に対する被告の反論」のとおりであり、落成式は、就任式と同様、儀式的行事にあたるところ、これは当然校務に含まれるから、教職員はその挙行に協同しなければならず、また、上司は、その挙行に必要ならば、教職員に対して職務命令を発することができる。
本件にあっては、前記のとおり、佐々木校長が、一〇月一八日の職員会議後に工事関係者に着工予定を問い合わせたところ、一一月一日だけは工事を休んで式の挙行に協力できるが、それ以上の延期は工事日程上無理であるとの回答を受け、その旨を原告らに報告して協力を依頼したが、依然として替同を得られなかったのであるから、佐々木校長らとしては職務命令を発して一一月一日の落成式に教職員全員を協同させることを余儀なくされたものである。
2 佐々木校長は、学校行事を決定する権限を有するところ、前記工事の関係から一一月一日に落成式を挙行するしかないのに、原告らが文化祭の準備を理由にこれに反対したので、同日の日程を決定したものである。
第三 証拠<省略>
理由
(筒湯小学校関係)
一請求原因事実は当事者間に争いがない。
二本件各処分までの経緯
<書証番号略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 筒湯小学校においては、花田校長が病気で休職の状態が続いていたため、宗川教頭が教職員らをまとめ、全員一致して学校運営を行っていた。
そのような雰囲気の中で、教職員らは、同小学校の次期校長には宗川教頭がふさわしいとして、市教委へもその旨の希望を述べたり、上申を行ったりしており、原告らは市教委がその点について配慮をするであろうとの期待を抱いていた。
ところが、九月二八日、中井圭仁を筒湯小学校校長に発令するとの内示があったため、原告らは、右の期待が裏切られたことに対する落胆に加えて、中井がもともと反組合的な立場にあったことや、前任地においては宗川が教頭で中井が教諭であったのに、立場が逆転したことに対する宗川教頭への同情的な気持ちもあって、中井の校長就任は喜べないとの空気が支配的であった。
そして、原告らは、一〇月一日に筒湯小学校に集まって、中井校長に、宗川教頭を次期校長にするように市教委に対して働き掛けてもらうこと及び原告らがこれまで行ってきた教育活動に対して理解を得るための話合いをすることを求め、これらが済むまでは就任式の実施に応じないことを相互に確認した。
2 一〇月一日は、前日(日曜日)行われた運動会の代休日であったので、中井校長は一〇月二日に筒湯小学校に着任した。
同日朝の職員会議終了後、宗川教頭は、校長室から中井校長を招いたうえ、教職員に同校長を紹介し、中井校長が挨拶をしようとしたところ、教職員らは「新聞にも出ていたから知っている。」、「必要はない。」等と言って校長の挨拶に応えることなく、そのまま運動会の後片付けに行ってしまった。
3 筒湯小学校においては、これまで、新たに校長を迎えるときには、就任式を行っていた。
通常は、児童代表が「お迎えのことば」を朗読し、全員が「師を迎える歌」を斉唱するという形式であったが、これを行うについては儀式係の教員が就任式の案を作って研究推進委員会に提案し、更に職員会議に諮るという手順を経ており、それに基づいて担当の教師が事前に準備をし、生徒を指導することになっていた。
4 中井校長及び宗川教頭は、就任式をなるべく早い時期に行いたいと考え、宗川教頭は職員会議の席上その旨の示唆をしていたが、原告らは話合いが必要であるとの立場をとっていたから、就任式を行うについての手順は何も踏まれず、教職員の側からは就任式を行う機運は一向に生じないままであった。
5 このような経過をみて、中井校長及び宗川教頭は、今回の就任式は通常の就任式の方式によらなくても、単に宗川教頭が中井校長を児童らに紹介し、次いで校長が児童らに挨拶をするという簡略な方式で行うこともやむを得ないと考え、一〇月三日に、宗川教頭は原告らにその旨の提案をしたが、原告らはこれにも反対し、前記の話合いが済んでから通常の方式による就任式をすべきであると主張した。結局、同日は話し合いのための職員会議を一〇月五日に開催すると決まっただけで、就任式をいつにするかについては何も決まらなかった。
6 一〇月五日の職員朝会で、中井校長は原告西尾から、「教育委員会から私たちの申し入れ事項を聞いているんですか。聞いていないなら、市教委で私たちの意向を確認したうえで、職員会議を開いて欲しい。」と言われ、同日午後、市教委に行って、長岡市教委次長(当時)から、原告らが「年度途中の人事であり、宗川教頭を校長に昇格させてほしい。」旨申し入れしていたことを聞いてきた。同日午後開かれた職員会議において、宗川教頭が、「外部からの要請もあり、もう延ばすことはできない。子供たちへの紹介だけは早くしたい。」と述べたが、原告らは、まず市教委への申し入れ事項に関する話合いを要求し、一〇月八日に話合いのための職員会議を開くこととなった。
7 宗川教頭は、一〇月六日の職員朝会で、重ねて、話合いとは別個のものとして早期に就任式を行いたい旨表明し、その実施を指示したが、原告らは、就任式は話合いの結果を踏まえて考えるという態度を崩さなかった。
8 一〇月八日の体育朝会の際、宗川教頭は、就任式を実施しようとして校内放送で教職員を招集したが、校内放送が徹底せず、教職員が集まらなかったので実施することができなかった。宗川教頭は、体育朝会の後、原告らを集めて「今朝就任式をしたかった。PTA会長などからも強く言われているのでできるだけ早く実施したい。」と言ったが、原告らは「外部の圧力に負けるな。就任式は職員会議での話合いを済ませたうえで行う。」と反論した。
9 一〇月八日午後行われた職員会議では、筒湯小学校校長人事をめぐっての話合いがなされ、来年度宗川教頭の校長昇格については、中井校長が校長会に推薦することで一応の決着がついたが、原告らは、さらに、中井校長の教育方針を明らかにすることや中井校長に筒湯小学校での教育活動に理解を求めるための話合いを、同月一一日午後の職員会議で続行することを求め、中井校長や宗川教頭は、話合いと就任式とは別個のものとするという考えのもとにこれを承諾した。
同月八日の話合いの後、中井校長は宗川教頭と協議をし、できれば明日にでも就任式を実施したいが、それができなくても、同月一一日の音楽朝会には全児童が集まるので、遅くともこの日には就任式を実施することを合意した。
10 宗川教頭は、右合意を受けて、一〇月九日の職員朝会の際、原告ら教職員に対し、今日就任式を行う旨表明した。これに対し、原告らは、就任式は一一日の放課後の職員会議での話合いを済ませたうえで、できるだけ早く行うようにする旨主張して譲らなかった。そこで、宗川教頭は、「一一日には就任式を行う。」と言って、就任式の実施を指示した。なお、同日、原告黒飛シゲ子は、年休をとり、学校を休んでいた。
11 一〇月一〇日は体育の日で休日であったが、尾道北高校のグラウンドで市民運動会が開催され、ここで原告西尾は偶然宗川教頭に会った。そして、その場で就任式の話が出て、原告西尾は就任式を話合い終了後になるべく早くする趣旨のことを言ったが、これらはもとより雑談の域を出るものではなかった。
12 一〇月一一日は、音楽朝会が行われる日であった。
音楽朝会は、毎週木曜日の朝に、児童が主体となって行う教育活動である。当日朝、児童らは、体育館に一年生から順次並んでいた。
原告土井俊春は六年二組の、原告森川真澄は五年二組の、原告八和田昭彦は四年二組の、原告佐藤八重子は三年一組の、原告黒飛シゲ子は二年一組の、原告吉田節子は一年一組の、原告沖濱忍は一年二組の各担任であり、原告丹光節子は障害児の担任であったが、いずれも担任の児童らの傍らにいた。
原告西尾は五年一組の担任であったが、音楽朝会の始まる前、体育館前方に置いてあるピアノの側に来て、既にステージ前に来ていた宗川教頭に「どうしたんですか。」と声をかけ、宗川教頭が「就任式を今朝やらせてもらいます。」と言ったので、「今日やるというのはどこで決まったのですか。今日話合いをする事になっているでしょう。」というやりとりがあり、両者の間には緊迫した雰囲気が漂っていた。
児童会代表の児童が、ステージに上がって「ただ今から朝会を始めます。」と発言したとき、宗川教頭は、体育館ステージ前まで進み出てこれを中断させ、児童がステージから降りたところで、「新しく来られた中井校長先生を紹介します。」と発言した。中井校長は、宗川教頭との打合せどおり体育館に入ってきており、その紹介に応じて登壇しようとした。
このとき、原告西尾は、右紹介の発言と前後して、「出るぞ。」と児童らに声をかけ、児童らを連れて退場する姿勢を示した。これに呼応して、児童会指導担当の表田千代美教諭が、ピアノ担当の児童に退場の音楽の伴奏を指示したため、全児童が退場のため足踏みを始め、後ろにい六年生から退場を始めた。
この様子をみた中井校長は、就任式の実施を事実上断念し、宗川教頭に「中止しよう。」と告げた。
原告らはいずれも、担任の児童らと共に順次体育館から退場した。
中井校長及び宗川教頭は、思わぬ事態に困惑しながら職員室に戻った。宗川教頭が職員室の席につくや、原告らはその周囲に集まり、口々に就任式の強行を責めた。
三右認定事実によると、宗川教頭は、中井校長の意を受けて、一〇月九日の職員朝会の際、同月一一日には就任式を行う旨の職務命令を発したものと認めるのが相当であり、原告黒飛シゲ子を除く原告らは、一〇月九日の職員会議の席上で右職務命令の告知を受けたことは明らかである。被告は、一〇月一一日の音楽朝会時における宗川教頭の発言が再度の職務命令にあたる旨主張するが、宗川教頭の発言は、その内容及び状況に照らすと、同月九日に発した前記職務命令を前提として就任式の開始を告げたものにすぎないと認めるのが相当であり、それ自体が独立した職務命令に該当するとは認め難い。
原告らは、一〇月九日の職員朝会における宗川教頭の発言は、明確に一〇月一一日に行う旨を表明したものではないから職務命令とはいえない、或いは宗川教頭において職務命令であるとの認識を欠き、内容的にも明確性を欠いているので、職務命令たり得ないと主張する。
確かに、宗川教頭は、職務命令であるという表現をしたものではないが、前記認定の経過及びその間の中井校長や宗川教頭の言動に照らすと、九日に行えないならば、一一日には就任式を行うとの意思の表明であることは明らかであり、その発言の場所及び対象からみて、それは、教頭から教職員に対する職務上の指示であることは明確であるから、ことさら職務命令であると断らなくとも、職務命令と解することを妨げるものではないし、内容的にも明確性を欠くものとはいえない。また、宗川教頭において職務命令であるとの認識を欠いていたと認めるべき事情も見出しがたい。
四そして、原告黒飛シゲ子を除く原告らは、右職務命令に従わず、就任式を開始する旨の宗川教頭の発言を聞くや、児童を連れて体育館から退場したものであるから、職務命令違反の行為があったものというべきである。
五原告黒飛シゲ子は、前記認定のとおり、一〇月九日には休暇をとっていたから、宗川教頭の職務命令を聞いていなかったところ、宗川教頭らは、その後同原告に右職務命令を知らせるような方法をとったとは認められないから、同原告は同月一一日の時点で職務命令の存在を知らなかったと認めるのが相当である。
そして、一〇月一一日の音楽朝会時における宗川教頭の発言は、前記のとおり独立の職務命令に該当しないものであるから、原告黒飛シゲ子に対しては、結局、就任式の実施に関する職務命令が発令されなかったのであり、同原告については、戒告事由とされた職務命令違反の事実等懲戒事由はなかったのものというべきである。
六本件各処分の適法性(原告黒飛シゲ子を除くその余の原告らの主張に対する判断)
1 原告ら(以下において「原告ら」というのは、特に断らない限り黒飛シゲ子を除く原告らを指す。)は、就任式のような内的事項については、教師の教育権が保障されるべきであるから、職務命令の対象とはなり得ないのであり、本件職務命令は違法であると主張する。
小学校校長の就任式は、学校行事のなかの儀式的行事に当たり、これは当然校務に含まれるところ、学校教育法二八条三項は、校長の権限として「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と規定し、すべての校務について校長が決定権を有することとしている。右校務の中には、条文上何らの限定も付されていないことからして教育活動自体も含まれると解されるところ、就任式は、筒湯小学校児童に出会いの意義を見つめさせるという目的を有する教育活動の一環であったはずであるから、その実施に必要ならば、職務命令発令権者は当然職務命令を発することができると解され、他方、教師が自主的にこれに従うかどうかを決定する自由があるとは考え難い。
よって、原告らの右主張は採用できない。
2 原告らは、本件職務命令は中井校長または宗川教頭によって取消ないし撤回された旨主張するので、この点について判断する。
まず、原告西尾と宗川教頭が、一〇月一〇日に話し合って、一〇月一一日には就任式を行わないことが確認されたとの主張については、前記認定のとおり、一〇月一〇日の市民体育祭の席上で同人らが偶然出会い、就任式の話をしたことは認められるものの、その場所柄や出会った経緯からして右の会話は雑談の域を出ないものであり、この場で学校行事の変更を来すような合意がなされたとみることはできない。
次に、一〇月一一日の音楽朝会の際、中井校長は、退場していく児童らをみて、宗川教頭に対し、「中止しよう。」と言ったものではあるが、これは当日の就任式の実施を断念して述べた発言に過ぎず、原告らに対して、就任式を実施する旨の指示を撤回した意思表示ではないことは明らかである。
よって、右主張はいずれも採用できない。
3 原告らは、職務命令が出されたことに気付かなかったと主張するが、一〇月九日の職員会議の席で、一一日には就任式を行うとの指示があったことは前記認定のとおりであるから、右主張は採用できない。
その他、職務命令に気付かなかった、または中井校長らの真意を知りえなかったとの主張は、弁論の全趣旨に照らし採用できない。
4 原告らは、本件各処分は社会観念上著しく妥当を欠くものであって、裁量権を濫用してなされたものであると主張するので、この点について判断する。
(一) 原告らは、従来、筒湯小学校では、就任式の前に、異動してきた校長と教職員との話合いがなされてきたのであり、しかも本件異動は年度途中のものであり、また、宗川教頭が校長に昇格することを期待していた原告らにとって意外な人事だったのであるから、そのわだかまりを消して、中井校長との相互理解を図るため、まず話合いを求めた原告らの態度は正当であり、それを無視した職務命令は教育的配慮を欠くもので違法であったと主張する。
しかしながら、就任式は、新しい校長が着任したことを児童らに知らせるとともに、校長が児童に挨拶をする儀式であるから、それに先立って、校長と教職員が話合いをしなければならない必然性は見出しがたいところである。まして、市教委の人事に対する要望といった、就任式とは本来無関係なもの、あるいは、同和教育についての協議など、就任式を済ませた後にすれば済む事柄をも就任式前に話し合わなければならないとして就任式の挙行を拒んだ原告らの所為が正当であったとは到底認められない。
このことは、異動が年度途中であったとしても、何ら変わりないものである。また、本件のような簡略な就任式をなすことも、諸般の事情に照らすとあながち教育的配慮を欠く不合理なものとは言えない。
以上の点を考えると、話合いが終わらないかぎり就任式に協力しないとの姿勢を崩さなかった原告らの態度を正当ということはできず、これらに対し宗川教頭が職務命令を発したのも不合理ではなかったと解される。
(二) 原告らは、中井校長及び宗川教頭が不意打ち的に就任式を強行しようとしたとは背信的であり、また、就任式を全教職員の協力も得ないで独断でなした点や、既に決まっていた音楽朝会を勝手に就任式に変更した点の違法も主張するが、宗川教頭らは一〇月一一日に就任式を行う旨明示していたものであるから、これを不意打ちとは言えず、また、前記認定のような原告らの態度に照らすと、中井校長及び宗川教頭が、原告らの協力が得られないまま、音楽朝会時に就任式を実施しようとしたとはやむを得ないことであるし、就任式の終了後には音楽朝会を続けて行うことを予定していたのである(証人宗川昌三の証言)から、既存の学校行事に変更があったとも言えない。
(三) 原告らは、原告らが一〇月一一日の音楽朝会の途中で退場したことは混乱を回避するためのやむを得ない行動であったと主張する。
しかし、もともと原告らは、話合いが済まないかぎり就任式には応じないとの態度を堅持し、相互にその旨を確認していたのであるから、本件の退場は原告らにとって予想外の出来事ではなく、むしろ右態度が行動として発現したものに過ぎないというべきであり、退場行進のためのピアノが弾かれた一場面のみを捉えて原告らの行動がやむを得なかったとすることは相当でない。
(四) 原告らは、中井校長や宗川教頭が文書訓告を受けたに過ぎないのに、原告らが戒告処分を受けるのは公平を欠くと主張する。
しかし、前記認定のとおり、本件各処分は、原告らが特段の合理的な理由もなく職務命令に反して就任式を妨害したことによるものであり、中井校長や宗川教頭の責任とはその質を異にするものである。
したがって、同人らとの比較において、その軽重を論ずることは相当ではない。
(五) 原告らは、本件各処分には、組合活動に対する不当な意図があると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
(六) したがって、原告らに対する本件各処分に裁量権の濫用があったとする主張は失当である。
5 原告らは、本件各処分に際して弁解の機会を与えられていないから、手続面においても違法であると主張する。
処分手続における告知聴聞の手続については特に明文がなく、どのような方式でこれをなすかについては処分権者の合理的裁量に委ねられていると解されるところ、前掲<書証番号略>によれば、本件各処分に際しては、事前に中井校長を介して、原告らから言い分を書面で提出させていることが認められるから、弁解の機会が与えられていないとの主張は根拠がない。
その他、原告らに対する処分手続に特に裁量逸脱の違法があったと認めるに足りる証拠はない。
七そうすると、黒飛シゲ子を除く原告らは、宗川教頭が一〇月九日に発令した職務命令に違反して、同月一一日の音楽朝会時に開始を告げられた就任式に参加せず、その場から退場したのであり、右行為は、地公法三二条に違反する懲戒事由(同法二九条一項一号)に該当し、かつ裁量権の濫用も認められないから、本件各処分は適法である。
(船越中学校関係)
一請求原因事実は当事者間で争いがない。
二本件各処分までの経緯
<書証番号略>によれば、以下の事実が認められる。
1 広島市と旧船越町との合併に伴う、船越中学校の校舎等の新築工事は、昭和五二、三年ころから行われていたが、昭和五四年九月末当時は、校舎、屋内体育館、プール等の第三期工事がほぼ完了し、これから第四期工事である校舎四階の増築工事(四階部分に教室等を増設することになっていた。)が始まろうとする段階であった。
2 九月二八日に開催されたPTA委員会で、役員として出席した佐々木校長は校舎、屋内体育館等が完成したのでその落成式を挙行したい、ついては一一月一日に行いたいとの発言をし、教職員の代表委員である原告矢島一夫らから、その日は文化祭と重なるので両方は無理であるとの発言があり、委員会では日程については学校側で調整してほしいということでこの日は終わった。
3 佐々木校長は、一〇月一日の職員会議に、落成式を一一月一日に行うことを提案したところ、教職員側は、落成式を学校行事として行うことについては異論はなかったものの、その時期については、一一月一日は文化祭の準備で行事が輻湊する(同校では文化祭を一一月一日午後と二日に開催することになっており、一日の午前は二時限目から飾り付け等の準備に当てられていた。)から、他の日にしてもらいたいとの意見が圧倒的であった。
ところで、船越中学校においては、従来、学校行事については、まず四月の職員会議で年間行事の大綱を決め、さらに学期毎の行事は、当該学期の直前の職員会議で決め(昭和五四年の二学期の行事については、八月二二日の職員会議で決めた。)、更に月毎の行事内容は、当該月の最初の日に具体的に決定しており、行事の担当部署も決まっていて、担当の部が立案して職員会議に提案し、教職員の意見を聞いて決定するという手順になっていた。ちなみに、学校で行う儀式については教務部の担当であった。
しかるに、本件落成式については、そうした手順はまったく踏まれずにいきなり校長が提案したという点及びまずPTA委員会に提案したものを職員会議に持ちかえるという点において異例なものであった。
4 一〇月九日に行われたPTA委員会(この会にはPTA会長、副会長、教頭と校長が出席して校長室で行われた。)では、佐々木校長は一一月一日に落成式を行うについて、教職員の多数が反対であったことには触れず、従前の提案どおり一一月一日に挙行したいとの見解を述べ、PTA委員会の了承を得た。
5 一〇月一八日、佐々木校長は臨時の職員会議を招集し、小川教頭に一一月一日に落成式を実施したい旨提案させた(このとき教頭は「式次第の案」(<書証番号略>)を配付した。)。小川教頭は、提案の理由として、落成式を教育活動の場として行いたいこと、PTAのムードが盛り上がっていること、前記増築工事の足場が組まれる前にするのが良いことを挙げた。
しかし、原告らは、一一月一日には文化祭の準備があるから、落成式を実施すると文化祭に支障が出るとか、意義のある落成式をするのに十分な取組みをすることができないなどとしてこれに反対した。また、原告末永卓子は、むしろ校舎が全部完成した後の、春休みの期間中に落成式を実施した方が、船越中学校の移転作業に従事した卒業生も参加できるのでよいのではないかと提案した。
そこで多数決をとったところ、一一月一日に落成式を実施することに賛成する者は、教職員二〇数名中二名に過ぎず、一〇余名の者が反対であるとの意思を表明した。
6 以上のような経過であったにもかかわらず、佐々木校長は、一〇月二〇日の職員朝会において、再び原告らに対し、一一月一日に落成式を実施したい旨表明した。向井教諭が「それは職務命令か」という質問をしたところ、佐々木校長は、「そうではなくてお願いです、こんなことで職務命令が出せますか。」と答えた。
さらに、佐々木校長は、「一一月一日に都合が悪い者は後で個人的に申し出るように。」と指示したが、特に申し出る者はいなかった。
同日の職員会議は、その程度で終了した。
7 佐々木校長は、一〇月二三日の職員会議において、再び小川教頭に一一月一日に落成式を実施する旨提案させた。小川教頭は、提案の理由として、増築工事に携わっている業者との話し合いで、その日しか実施できるときがないことを挙げた。
しかし、依然として原告らは右の提案に反対し、再度多数決をとったところ、一一月一日に落成式を実施することに賛成する者は教職員二〇数名中誰もいなかった(一〇余名が反対の意思を表明した。)ので、佐々木校長は、「生徒、先生が参加できなくても止むを得ない。生徒会長と案内状を出して来た人だけで落成式を一一月一日に行う。」と述べて退出しようとした。原告森金敬彦が、「それでは落成式にならないのではないか。」と言うと、佐々木校長は、「葬式でも代表だけが参列して行うではないか。」という趣旨のことを答えた。
8 佐々木校長は、一〇月二四日、自ら作成した落成式の案内状を、生徒を通じてその保護者に配付するようにと言って原告らに交付した。右案内状の文言の中には、全生徒が出席する旨の記載があったので、原告らは、それは代表の者だけでやるという前記7の発言と矛盾するではないか、と言って抗議し、案内状を小川教頭に返した。
佐々木校長は、右案内状とは別に、PTAの役員に対する落成式の案内状を作成し、これを同月二三日ころから自ら役員の自宅に配付して歩いた。
9 ところで前述のとおり一一月一日は一時限目は授業、二時限目からは文化祭の準備、午後一時からは文化祭の一環としての映画鑑賞と決まっており、職員室の黒板(予定表)にはその旨が記載されていたが、一〇月三一日の朝、その予定の横に「一時限は文化祭の準備、一一時三〇分から落成式」と書き加えられていたので、これを見た教務主任の慶徳教諭らが「おかしいじゃないか。」と小川教頭に話したところ、教頭はその場で落成式用の予定を全部消してしまった。
その後の職員朝会において、佐々木校長は重ねて一一月一日に落成式を行うので教職員は生徒を引率して参加して欲しい旨表明した。また、文化祭の準備に忙しくて落成式に参加できないということならば、一校時目の授業をとりやめて文化祭の準備をするから、落成式には出席するようにと指示した。原告らはこれに反発し、村上教諭は「それは職務命令か。」と大声で問い質したところ、佐々木校長はそれには答えず黙ってその場を退出した。
職員朝会終了後、小川教頭は前記佐々木校長の指示に沿った日程(一校時目は授業をとりやめて文化祭の準備をする。その後落成式に出席)を再度板書したが、従来の予定の日程も、消さずにそのまま残していた。
10 一一月一日午前一一時一四分、小川教頭は「落成式を始めるので、廊下に整列して、一年生から体育館の方へ入ってください。そして、先生方は生徒を引率して式場へ入るように。」との放送を流したが、体育館に入ってきたのは三学級のみであった。小川教頭はもう一度放送を繰り返したが、それ以上の参加はなかったので、校長らと手分けして各教室を回って原告らを含む教職員らに落成式参加を呼び掛けたが、結局教職員六名、生徒八六名、来賓約五〇名参加のもとに落成式を挙行した。
一一月一日には、前記佐々木校長の指示に沿った日程によって授業の予定を変更したクラスはなく、各クラスでは、二校時目から文化祭の準備を開始した。
以上の各事実が認められ、<書証番号略>及び証人佐々木のうち、佐々木校長が、一〇月三一日に落成式への参加要請をした直後、これは指示命令である旨明言し、村上教諭の「それは職務命令か。」との問いに対して「そのとおりである。」と答えたとの記載ないし証言は、佐々木校長が同日落成式への参加要請をした直後、村上教諭がわざわざ「それは職務命令か。」と聞いていること、小川教頭が、一一月一日の職員朝会後に同日の日程を板書したとき、従来の予定と併せて佐々木校長が新たに指示した日程を記載したこと、当日、船越中学校の全クラスでは、佐々木校長の指示どおりに一校時目の授業をやめた学級はなかったこと、更には、一〇月一八日に、落成式の日程に関して話し合ったときに、教職員が「それは職務命令か。」と問うたのに対して、佐々木校長が「こんなものに職務命令が出せますか。」と述べたこと、同月二三日に、多数の教職員と議論した末、「落成式は来た人だけで行っても仕方がない」という趣旨の発言をしたこと等の事実に照らすとにわかに措信しえず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
三以上認定の事実関係からすれば、佐々木校長及び小川教頭は、一〇月一日以降、度々一一月一日に落成式を行う旨の提案をし、教職員らの反対に遇うと一旦はPTAに持ちかえるような態度を示しながら、さらに再び同様の提案を繰り返してきたもので、その間に一一月一日に落成式を行うについての既成事実を積み重ねてゆきながらも、出席するようにお願いはするが、出られないものは仕方がない、との態度で終始したものと認められ、それ以上に当然出席すべきものであるとの意思表示はしなかったものである。
佐々木校長が、このように曖昧な態度をとり続けたのは、もともと落成式を行うとの決定自体が唐突であり、通常の手順も踏んでおらず、また、日程の決め方も一方的なものであったから、反対する教職員を説得することが困難であったからであると推認できる。
そうだとすると、一〇月三一日の佐々木校長の指示は、落成式が学校行事であり、教職員が全員出席しなければならないものとの明確な指示ではなかったのであるから、職務命令とはいえないと言うべきである。
さらに、佐々木校長及び小川教頭は、一一月一日当日には、「一時間目の授業をやめて文化祭の準備に当てる。」と言い出し、それと引換えに落成式への出席を求め、開催時間が切迫した時点では、校内放送を通じ、または自ら校内を落成式に出席するように言って回ったもので、この時点ではかなり強硬に出席を求めた発言になってはいるものの、校長の内心の意図はともかくとして、それまでの経緯からすると、任意の出席を求めるに過ぎず、必ずしも全員の出席を求めたものとはいえないから、この段階で落成式への出席が校長の命令になったともいえず、少なくとも教職員が命令と認識しえるような伝達がなされたということはできないから、右一連の発言も、やはり職務命令とは言えない。
そうすると、原告らは、いずれも落成式に参加せず、また、担任するクラスの生徒を引率して右式に参加させなかったけれども、全員出席をするようにとの職務命令があったとはいえないから、職務命令違反を理由とする本件各処分は、事実を誤認してなした違法なものというべきである。
したがって、原告らに対する抗弁は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。
(結論)
以上のとおり、原告黒飛シゲ子、同矢島一夫、同森金敬彦及び同末永卓子の本訴請求は理由があるからこれを認容し、その余の原告らの請求には理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官浅田登美子 裁判官古賀輝郎 裁判官福田修久)